とある主婦の好きなもの。

ギリギリ昭和生まれのアラサー主婦が好きなものについて語っています。

自分を殺した母、残された父と私。

※閲覧注意※今回は当ブログ史上最も重たく暗い話になります。どす黒い感情も曝け出しますので、ご理解の上お付き合い頂ければ幸いです。

 

 

先日、母の十三回忌が終わりました。あれから12年。タイトルは誇張表現ではありません。母は自分を殺しました。残された父と私は一生消えない傷を抱える事になりました。…今日は命日です。父にも夫にも話せない心の内を、当時のどす黒い本音を綴ろうと思います。書く事に意味があるのかは分からないし、おそらく自分が楽になりたいだけの自己満足。それでも私は一度この傷を曝け出したかった。ブログを始めた時からいずれは書こうと決めていたので、醜い部分もあるとは思いますが、宜しければお付き合い下さい。

 

 

母が自分を殺した原因はうつ病。うつ病の原因は伏せるが、真面目で完璧主義だった母だからこそ…と思う。母のうつ病は初めてではなく私が中学生だった頃にも患っていて、その時は半年ほどで回復したので今回も…と期待していたが二度目は駄目だった。私がまだ未成年で大学生だった夏に、母は自ら死を選んだ。

二度目のうつ病を患っていた約9か月間は、なかなかヘビーだった。想像はつくと思うが、うつ病患者の家族も相当メンタルがやられる。今思えば、私もだいぶ弱っていた。弱っていたが、“大丈夫なふり”をしないと共倒れになるだけだと思っていた。急に自室に飛び込んできて私の膝に泣きつく母を見て、「しっかり者の母のこんな姿を見るなんて…」と辛かった。泣きつきながら「○○は強いね」と言われた。冷たい娘だと思われていたかもしれない。当時は「強いふりをするしかないじゃないか」と考えていたが、もしかしたら母は一緒に泣いてほしかったのかもしれない。けれど何が正解だったのか、答え合わせはもうできない。

 

“その日”は唐突だったが、正直な所、予兆や覚悟がなかった訳ではない。私は夏休み中で毎日バイトに行っていて、“その日”は「行って来ます」と声をかけても「行ってらっしゃい」の返事がなかった。「あれ…?」と思ったが電車の時間もあるのでそのまま出発した。…あの時、バイトを休んでいれば違う未来があったのだろうか、と今でも時々考えてしまう。けれど、“その日”は乗り越えても結局同じ結末だったようにも思える。どちらにしても、一生抱え続ける後悔だ。

警察が来て諸々を終えた後、寝室の布団に寝かされている母を見た。ずっと苦しそうな顔しか見ていなかったので、穏やかな顔で眠る母を見て「…これでお母さんが楽になったのなら良かった」と言った。ほぼ無意識で出た言葉だったが、間違いなく本音だった。それを聞いた父が「○○がそう思えるなら良かった」と言った。そしてこれが誰にも話せていない本音なのだが、同時に「…私も楽になった」と思ってしまった。最悪な結末ではあるが、何にせよこれで地獄のような日々は終わった、と思ってしまったのだ。

事件当夜は食欲も全くなく、寒気が止まらなくて冷房の効いたリビングで毛布に包まってガタガタ震えていた。そんな中葬儀等の色々な手続きを進めている父を見て、「父のためにしっかりしないと」と思った。おそらく父も同じように考えていたのだろう。結局私は父がきちんと泣いた所を見ていない。…私の事はともかく、父の為に母には生きて欲しかった。仕事に母の病院通いにと必死に頑張っていた父の為に踏ん張って欲しかった。父が定年退職をしたら夫婦水入らずでたくさん旅行に行く予定だったじゃないか。

絶対眠れないと思っていたのに当日もあっさり眠れたし、翌日からはお通夜の準備等でバタバタして、不思議な位心は落ち着いていた。心配して一緒に斎場に泊まってくれた従姉妹に「悲しんだりする暇がないようにお通夜とかお葬式があるのかもしれない」と悟ったような事を言ったのを覚えている。でも、本当にそうだった。形式的に進んでいく行事をどこか他人事のように感じる瞬間もあったし、心の整理をするのにすごく都合が良かった。その所為か、葬儀を終えて帰宅した時には妙に張り切っていた。これからは学業と家事を両立させないと、と勇んで掃除機をかけた。…けれどその時、ふと考えてしまった。それがもう一つの“誰にも話せていない事”だ。

「…こんな形で父子家庭になって、これから先の人生、母の一件が就職や結婚に悪影響を与えないだろうか」と思ってしまったのだ。そしてそんな心配をした自分に嫌悪した。私はそれまで、無意識の内に“自分は恵まれた家庭で育った幸せ者”だという意識があったのだろう。それが一転して“不幸な家庭の子供”になったと考えてしまった。どこまでも自分本位で浅はかな思考だ。…ただ実際の所、これは杞憂だった。就職にも何の影響もなかったし、結婚だって問題なくできた(夫には付き合う前から事実を打ち明けていた)。

 

辛い記憶も時間と共に薄れていく、というのは嘘だ。普段は記憶に蓋をしているだけで、開いてしまえばいくら時間が経とうが鮮明に蘇ってくる。私も母の事をすっかり忘れている日の方が圧倒的に多いが、年に数回、特に眠れない夜に思い出しては涙が勝手に溢れてくる。この記事を書いている時もやはり泣いてしまった。それ程に傷は深いのだ。そしてその傷は一生消えない。

更に言えば、自ら死を選ばれた場合、悲しみや悔しさだけでなく“罪の意識”が付き纏う事になる、と思う。少なくとも私はそうだ。もっと母に優しく寄り添っていれば…とか、もっと上手くやれていれば回避できたのでは…と考えてしまって、私も母を追い詰めた一因かもしれない、と罪悪感に苛まれる。だからこの一生消えない後悔や苦しみも一種の“罰”として受け入れなければならないのだろう…とも思っている。

ただ、ぶっちゃけ母にも色々と言いたい事がある。残された家族の事を考える余裕がないからこそ決断してしまったのだろうから、理解はしているが、完全に消化できる程私は出来た人間ではない。『死後の世界』はあまり信じていないが、もしもそんな世界があるのなら、私は母と思いっきり喧嘩をしたい。きっと母にも言い分はあるだろうし、あの時言えなかった本音をお互いにぶつけ合いたい。…そうして、その後の娘の人生を報告できたら嬉しい。